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高松高等裁判所 昭和24年(控)994号 判決 1952年1月31日

控訴人 被告人 高畠長四郎 外三名

弁護人 宇和川浜蔵 外五名

検察官 田中泰仁関与

主文

原判決を破棄する。

被告人高畠長四郎を懲役壱年罰金参万円に

同辻田市郎を懲役八月罰金弐万円に

同上田恵を懲役六月罰金弐万円に

同坂本隆之を懲役八月罰金参万円に

各処する。

但被告人辻田市郎、同上田恵、同坂本隆之に対しては本裁判確定の日から五年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは金四百円を壱日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

原審に於ける証人相原一馬、同徳森上幸に支給した日当、証人佐伯宗明に支給した旅費日当は被告人高畠長四郎の負担とし、証人江戸章哲に支給した日当は被告人四名の負担とする。

被告人坂本隆之が被告人高畠長四郎にテイコインを譲渡したとの点は無罪。

理由

被告人高畠長四郎の弁護人宇和川浜蔵、同木村秀太郎、被告人辻田市郎の弁護人松本清三、被告人上田恵の弁護人今井源良、同岡井藤志郎、被告人坂本隆之の弁護人米田正式の各控訴趣意は夫々別紙記載の通りである。

被告人高畠長四郎の弁護人宇和川浜蔵、同木村秀太郎の控訴趣意第一点について、

刑事訴訟法第三百一条の被告人とは当該被告人の謂であつて共同被告人を含まないと解すべきであるから所論の被告人高畠長四郎の犯罪事実を立証するため共同被告人である坂本隆之に対する司法警察職員作成の自白供述調書及び同人に対する検察事務官作成の自白聴取書の取調を請求しその証拠調がなされたとしても毫も同条の趣旨には反しないのである。故に論旨は理由がない。

同第二点について

所論の警察官の証明書及び名刺は証拠物として示されたが朗読されなかつたというような手続上の瑕疵は本件に於ては判決に影響を及ぼすものとは認められないから理由がない。

同第三点について、

不法領得の意思とは権利者の物に対する支配を排除してその物を自己の事実上の支配に移し所有権の内容を実現する可能性の生ずることの認識があれば足り必らずしも利得する意思を要しないと解すべきであるから論旨は首肯できない。

被告人辻田市郎の弁護人松本清三の控訴趣意第一点について、

自白を補強すべき証拠は、必ずしも自白にかかる犯罪事実の構成要件全部にわたつて洩れなくこれを裏付けるものであることを要せず、自白にかかる事実の真実性を保障し得るものであれば足りる。本件賍物収受罪に於て被告人辻田市郎がその収受のとき本件テイコインは被告人高畠長四郎が被告人坂本隆之から恐喝したものであるということを知つていたとの点についには自白が唯一の証拠であること所論の通りであるが原判決挙示の証拠によつてこの自白の真実性を充分保障し得るのであるからこの点の論旨は理由がない。

同第二点について、

麻薬を譲受けこれを他に譲渡した場合の譲受、譲渡の各行為は各独立し併合罪の関係となることは麻薬取締法の精神に照し一点の疑を容れない。故に所論のような被告人辻田市郎が本件テイコインを被告人高畠長四郎から貰い受けこれを被告人上田恵に売渡した行為を目して一個の譲渡行為又は牽連一罪となるとなすは独自の見解であつて賛成できない。

同第三点について、

所論の証人外池福三郎に対する証拠決定は第四回公判(昭和二十四年五月十一日)に於て取消されていること記録上明白であるから理由がない。

被告人上田恵の弁護人岡井藤志郎の控訴趣意第一点について、

被告人上田恵はテイコインが麻薬であることは知らなかつたのである故に原判決中同被告人に関する部分は事実誤認であると主張するのであるが原判決挙示の証拠によつて優に同被告人がテイコインが麻薬を含有することを知りながら原判決摘示のようにそれを取引した事実を認めることができるから事実誤認の主張は該らない。

被告人坂本隆之の弁護人米田正式の控訴趣意第一点について、原審が弁護人今井源良の本件テイコインの鑑定申請を留保しその採否を決定せずして結審し判決を言渡したことは所論の通りであるがこのような手続違背は判決に影響を及ぼすこと明らかとは言えないから論旨には賛成できない。

全弁護人に共通する刑の量定不当の主張について、

本件訴訟記録並びに原審が適法に取調べた証拠を精査し各弁護人の援用する事実を検討すれば被告人四名に対する原審の量刑は稍重いと思われ殊に被告人辻田市郎、同上田恵、同坂本隆之はこれまでに刑事上の処罰を受けたことなき点を斟酌すればこの被告人三名については相当の期間懲役刑の執行を猶予するのが適当である。

仍て刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条により原判決はこれを破棄し、同法第四百条但書の規定に従い当裁判所において次の通り自判することとする。

罪となるべき事実及びこれを認めた証拠は被告人坂本隆之を除く其の余の被告人三名については原判決に記載の通りであるからここにこれを引用する。

第四被告人坂本隆之は麻薬取扱者でなく且法定の除外事由がないのに拘わらず、

(一)昭和二十三年七月十日麻薬取締法施行当時から同年八月下旬頃までの間自宅に於て麻薬を含有するテイコイン一CC五十本入二十二箱を所持し

(二)同年八月二十二日頃愛媛県伊予郡郡中町大字下吾川の灘部義男方に於て同人から麻薬を含有するテイコイン五〇CC三百本、一〇〇CC四十本を譲受け

たものであつてこれを認むる証拠は原判決に挙示の通りである。

適用法条

被告人高畠長四郎の

第一の(一)の所為は刑法第二百四十九条第一項

第一の(二)の所為は麻薬取締法第三条、第五十七条

被告人辻田市郎の

第二の(一)の所為は刑法第二百五十六条第一項

第二の(二)の所為は麻薬取締法第三条、第五十七条

被告人上田恵の

第三の(一)(二)(三)(四)の所為は各麻薬取締法第三条、第五十七条

被告人坂本隆之の

第四の(一)(二)の所為は各麻薬取締法第三条、第五十七条

尚被告人四名ともに罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第六条、第十条、第四十五条、第四十七条、第四十八条、第十条、第六十八条、刑事訴訟法第百八十一条

被告人辻田市郎、同上田恵、同坂本隆之に対して各刑法第二十五条

尚被告人坂本隆之が被告人高畠長四郎にテイコインを譲渡したとの公訴事実については原審が適法に取調べた証拠によれば被告人高畠長四郎は恐喝の意思で本件テイコインの買入を申込み被告人坂本隆之は喝取の意思あることを知らずしてこれを承諾しここに於て有償の譲渡契約は成立しその引渡にあたり判示のように喝取せられたのであるが麻薬取締法第三条の譲渡罪とはかかる法律上又は事実上の引渡を伴わない単なる譲渡契約だけでは成立しないことは勿論恐喝に因つて喝取せられた場合にも成立しないと解するを相当とするから被告人坂本隆之の右譲渡の公訴事実に対しては刑事訴訟法第三百三十六条によつて無罪の言渡をする。

仍て主文の如く判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

被告人高畠長四郎の弁護人宇和川浜蔵同木村秀太郎の控訴趣意

第一点刑事訴訟法第三〇一条は第三二二条及び第三二四条第一項の規定によつて、証拠とすることができる被告人の供述が、自白である場合は、犯罪事実に関する他の証拠が取り調べられた後でなければ、その取調べを請求することができないと規定している。言うまでもなく、同条は被告人の自白供述書を他の証拠に先立つて取り調べることにより裁判官に事件についての予断を抱かせまいとする趣旨に出たものであつて、第二五六条第六項の「起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない」という規定、第二九六条の「証拠調のはじめに、検察官は証拠により証明すべき事実を明らかにしなければならない。但し、証拠とすることができず、又は証拠としてその取調を請求する意思のない資料に基いて、裁判所に事件について偏見又は予断を生ぜしめる虞のある事項を述べることはできない」という規定と相俟つて現行刑事訴訟を貫く最も重要な公判審理公正の基本精神を宣明したものである。従つて第三〇一条は、犯罪事実に関する他の証拠の取調が終るまでは、時限的にではあるが、その供述の証拠能力を否定するものであつて、この規定に反して証拠調をした被告人の供述書はその限りに於て証拠能力のないものでありその証拠調は当然無効のものである。故に第三〇一条に反する証拠調の請求は之を却下するか、その取調を他の証拠調の終るまで留保すべきである。然るに原裁判所は第一回公判期日に於て証人として相原一馬、高畠セン子、徳森上幸等の取調を決定し、次回公判期日に於て右証人等の取調を為すべきことを承知しながら之が取調を後廻はしにして、先づ第一番に被告人坂本隆之に対する司法警察職員作成の自白供述調書及び同人に対する検察事務官作成の自白聴取書の証拠調を行ひ、それが終つてから後に右証人調を行つているのである。然し之は明らかに刑事訴訟法第三〇一条の規定を無視するものである、こうした第三〇一条違反はこれだけに止まるものではなく、前後数回に亘つて繰返えされておる。即ち第二回の公判期日に於ては、被告人に対する司法警察員作成の供述調書、同人に対する検察事務官作成の供述調書等々について証拠調べをなし、第三回の公判期日に於ては、証人佐伯宗明を尋問し、第四回の公判期日に於ては証人江戸幸哲を取調べる等、全証拠調が第三〇一条の違反であると言うも決して過言ではない。

以上の如き違法は、第三〇一条の解釈の誤に出でたものではないかと憶測される。即ち検察官から前記各自白供述書取調の請求がなされたとき弁護人は右自白供述書を証拠として取調べられることに異議なき旨を陳述しておる。それで、原審裁判所は弁護人の同意があるから、第三〇一条を無視して証拠調を敢てしても違法でないと誤解されたものと思うのである。

然し弁護人は自白供述書を証拠として取調べられることに異議なき旨を陳述したのであつて、第三〇一条に違反して証拠の取調を為すことに同意したものでは決してない。このことは公判調書に於て極めて明白である。仮に弁護人が第三〇一条に違反して証拠の取調を為すことに同意したものとしても、第三〇一条の規定事項は弁護人の勝手に処分し得る性質のものではなく、この場合弁護人の同意は毫も同条違反による証拠調の無効を有効化するに役立つものではあり得ない。

思うに、自白供述書の取調は最も影響的な裁判官の心証形成行為であつて、この違法な証拠調が原審裁判官の心証形成に有力な影響を与えていることは論証の余地のない所であり、殊に原審裁判所はこの違法な証拠調に基く証拠を資料として被告人の犯罪事実を認定しているのであるから、刑事訴訟法第三八〇条に謂う法令の適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼしていることは極めて明白である。故に原判決は破毀を免れることは絶対に出来ぬと確信する。

第二点被告人の弁護人は第二回の公判期日に於て立証趣旨を明らかにした上、証拠物として司法巡査作成の証明書一通と名刺三十四枚の取調を請求した。これに対して裁判官は右証拠物を「別紙の目録の通り押収する旨を宣した」ことは第二回公判調書の明記するところである。公判調書に「裁判官は右証拠物を別紙の目録の通り押収する旨を宣した」という意味は稍明瞭を欠ぐ嫌はあるが、証拠物として取調べる旨の決定を為したものと解すべきであること言うまでもない何故なれば、裁判官はその後却下の決定もしていないし、又証拠物として取調べないものを押収する筈がないから。果して然らば、右証拠物に対しては当然証拠調が為されねばならぬ筈である。而て右証拠物は書面の意義が証拠となるものであるから刑事訴訟法第三〇六条及び第三〇五条の手続が為されなければならないのであり、この手続が為されない限り、証拠調が為されたとは言ひ得ない。

然るに原裁判所は全然この手続を履践していない。これは明らかに取調べなければならない証拠の取調を怠つたものであつてそれが被告人の重要な物証であるだけに、この違法は判決に影響を及ぼすことは明らかである。この点からも原判決は破毀を免れ得ないと思う。

第三点恐喝罪は財産犯であり、従つて領得罪である。故に本罪の成立には財物領得の意思の存在を必要とする。而て領得の意思とは大審院の判例によれば「権利者を排除し他人の物を自己の所有物として経済的用法に従ひ、利用若しくは処分する意思」である。従つて縦令恐喝的手段によつて、他人から財物を交付させたとしても、経済的用法に従ひ、之を利用若しくは処分する意思がない限り、恐喝罪は成立し得ない。本件に於ては領得の意思は被告人の極力否認する所である。今この点に関する本件の証拠を案ずるに

(一)被告人の第一回公判期日に於ける「私も買う如く相手に見せかけ買うことを承知し、代金を支払つて警察え知らす心算でおりました」「その後私は警察の方へ電話で斯う斯うした麻薬があるからこちらから知らしたときに来てくれという意味のことを申しますと、警察の方では出来るだけ協力するから大いにやつてくれということでありました」云々の供述

(二)この供述に照応する徳森上幸に対する検察事務官の「昭和二十三年夏頃で月日の点は、はつきりしませんが、私が同僚の光宗刑事と同方面に捜査に行つた際、同人宅に立寄りました処、同人が麻薬を持つているという者があるんだがまだ品物は見ていないのでハツキリしない。金を持つて行けば品物を出すという話であるが、或は詐欺かも知れんが、品物があることがわかつたら連絡するから検挙しなさいと話しました」旨の供述記載

(三)同証人の第二回公判期日に於ける同趣旨の供述

(四)中村喜多雄に対する警察員の「自分では出来んが(摘発)自分の友人に高畠という人があるがこの人は警察の人や進駐軍と心易いから進駐軍物資を持つているのなら高畠と相談をして摘発するというて、その日は別れました」「辻田さんと二人で高畠さん方に行きましたら高畠さんがおりまして、そんなやつは摘発せねばならんと言ひまして」云々の供述記載

(五)被告人の第一回公判期日に於ける「結局警察えは言わずに此処で全部壜を割つてしまう気になり」「それはその日に私方裏の風呂場の処で分前の麻薬テイコイン五〇CC四十本位、百CC五六本位ありましたが、それを全部桶に入れて金槌で叩いたり壜と壜を打つて割つてしまいました」旨の供述

(六)右供述に照応する証人高畠セツ子の第二回公判期間に於ける「以前主人が警察の人に話していた件で来ていたものと思ひます」「私は坂本さんの帰りを見送つて裏庭の方え行つて見ますと主人は壜と壜を合はしてコツコツ割つて丸桶の中え入れておりました」旨の供述

(七)証拠物丸桶(割れ壜入り)

(八)証人相原一馬の第二回公判期日に於ける、「一本完全なものがありましたが、その外は全部割れておりました」「発掘した桶の中に雨水が入つておつた点から相当以前に埋めたものと思つておりました」旨の供述は何れも被告人に領得の意思のなかつた事実を肯認するに充分である。即ち、之等の諸証拠を綜合すると、被告人は坂本隆之が麻薬を隠匿密売している噂をきいて非常に憤慨し之を摘発しようと決意し、事前にそのことを松山市警察の刑事巡査徳森上幸に打明けて連絡をつけた上、巧に坂本隆之を自宅に誘引して麻薬を持参させたのであるが、坂本隆之の慟哭と妻セツ子の阻止に逢つて意を飜えし、遂に之を破壊するに至つたものであつて、その間領得の意思は毫も存在しなかつたのである。然るに、原審裁判所は前示各証拠を軽々しく看過し、領得の意思の存否を不問に付して被告人について恐喝の事実を認定したのは明かに事実の重大な誤認である。思うに原審裁判官に斯かる重大な誤認を生ぜしめた所以のものは、第一点で詳述したように刑事訴訟法第三〇一条の規定を無視して証拠調の方法を誤り、各被告人の自白供述書を先に取調べたため識らず識らずの間に事件について予断を抱くに至つた結果の一つだと信ずる。

第四点仮に領得の意思の不存在が認められないとしても、被告人がテイコイン摘発の意思をもつていたことは被告人の公判期日に於ける供述徳森上幸の証言等によつて争の余地なく、且つ被告人が喝取したと称する財産については之を経済的用法に従つて利用した事実はもとより、処分した事実も皆無であり、被告人が全部之を破壊したことは第三点に於て引用した諸証拠によつて証明充分である。然し被告人が坂本隆之に財産的損害を与えたことは否み得ないが、もともと本件の財物テイコインは所持禁止の物件であるから、坂本隆之は之を所持するについて法律上正当な利益を有せざるものであり、寧ろ反対に之を所持することが一つの犯罪であつて右テイコインを坂本隆之が他に密売することに因つて生ずる恐怖すべき害悪を根絶する目的で本件は行はれたものであるから、本件の被害法益は社会的に見れば皆無であるというも敢て過言ではない。以上の諸事情を勘考するとき被告人に対する量刑は甚だしく不当であつて、当然改訂さるべきだと信ずる。

被告人辻田市郎の弁護人松本清三の控訴趣意

一、原判決は証拠に拠らずして犯罪事実を認定したる違法あり

被告人辻田市郎は、昭和二十三年八月二十三日頃相被告人高畠長四郎方において同人より同人が坂本隆之より恐喝して得たものである情を知りながら麻薬テイコイン一五CC十本入二箱五CC約十七本一〇〇CC七本贈与を受け贓物の収受を為しと判示し、之が認定の資料として、一、被告人辻田市郎の公廷における麻薬である事を知らなかつたと弁解する外判示同趣旨の供述 一、証人相原一馬・徳森上幸・高畑節子・佐伯宗明の当公廷における供述 一、坂本隆之に対する検察事務官の聴取書 一、高畑長四郎に対する検察事務官の供述調書 一、辻田市郎に対する検察事務官の供述調書 一、上田恵に対する検察事務官の供述調書を挙示して居るのであるが、しかし(イ)被告人辻田市郎は原審公廷に於て相被告人高畠長四郎より高畠を坂本に紹介した御礼として麻薬テイコインを貰らつた事は違いないが高畠が如何にして之を手に入れたか全然知りませんと供述し居りて知情の点を認めた供述はして居ないのである。(ロ)其他高畠長四郎・上田恵・坂本隆之・証人相原一馬・徳森上幸・高畠節子・佐伯宗明等も原審公廷において被告人辻田市郎が情を知つて高畠長四郎より麻薬を貰受けたと認めらるる供述は一切していないのである (ハ)坂本隆之・高畠長四郎・上田恵に対する検察事務官の供述調書に依るも辻田市郎が高畠長四郎の坂本隆之より恐喝して得たものであることを知りながらその麻薬を貰受けたと言ふ事は一切之を認定するに足る供述はしていない。(ニ)唯一つ被告人辻田市郎は検察事務官谷本義国の作成したる供述調書第十項に、「それから二三日後の午後四時か五時頃でありました私が高畠方に参りました処同人が今日坂本が例の品を自動車で持つて来たので脅してやつたら気狂いのように声を上げて泣くので十万円か二十万円取つて現物を返えしてやろうと思ふたが、それもしないので現物を割つて呉れと謝るので済ましてやつた、それで坂本の置いて行つた現物を皆で分けて君の分を置いてある」と知情の点を自白して居るに過ぎない。然らば之れは唯一の自白であるから補強証拠が必要である。然るに他に補強証拠がないから犯意を認定することはできない筈である。尤も或論者は知情の点は小部分であるから補強証拠は不必要であると論ずるが昭和二十三年四月十七日第二小法廷の判決(昭和二十二年(れ)第一八七号贓物故買被告事件刑集二巻四号三五七頁)は補強証拠が必要だとして補強証拠の問題を取上げて論じて居る。而して補強証拠を要するとすれば唯だ贓物を貰つたという客観的事実自体は未だ知情の補強証拠たるには足らないと信ずる。結局証拠に拠らずして犯罪事実を認定した違法ありという次第である。(ホ)原判決は被告人辻田市郎の被告人高畠長四郎が坂本隆之より恐喝して取得したるものたる情を知りて之を貰受け而して後之を被告人上田恵に売却した所為を贓物収受と麻薬取締法違反との二罪として併合罪の規定を適用して加重刑を科したるが元来貰受けた所為は贓物収受と麻薬取締法とに牴触し所謂一個の行為にして数個の罪名に触るる場合に該当するを以て重き麻薬取締法違反にのみ問擬すべきである。然らば貰受けた行為も上田に売却した行為も等しく麻薬取締法違反に該当する。而して同取締法を案ずるに同第三条には所持、譲渡、交付を禁ずるを以て今之を或者より貰受けて之を第三者に売却したる場合、譲受と所持と譲渡と三個の犯罪が独立して成立し併合罪の規定を適用すべきものとなすが如きも一個の物件を譲受けて譲渡するは結局の目的は譲渡にあるを以て譲受所持は譲渡に至るまでの一過程に過ぎざるを以て譲受行為も所持の行為も譲渡したる場合は何れも譲渡行為に吸収せられて譲渡行為のみが成立するものと見るべきであり若し然らずとするも被告人辻田市郎が古物商たる業態にかんがみ麻薬を施用の為めに貰受けたと認むべき資料なき以上之を売却して利益を得る為に貰受けたと認むることが社会の通念に適すると信ずる。果して然らば貰受ける行為は之を売却する行為の手段にして売却する行為は、その結果たる関係にあるを以て之を一罪として処断すべきである。然るに之に併合罪の規定を適用したるは法の適用を誤りたる違法あり。

一、原審は一且被告人等の為め外池福三郎を証人として当公判廷に喚問すべき旨証拠決定をして証人を召喚して置きながら五月十一日の期日に証人外池福三郎が出頭せなかつたところ証拠決定を取消さずして其侭結審したる違法あり

以上の次第にて原判決は刑重きに失し懲役刑について刑執行猶予を為すを相当とす。

被告人坂本隆之の弁護人米田正式の控訴趣意

一、原審が被告人の利害の為弁護人の申立てた鑑定の申請を採否を留保した侭証拠調を終了した事は明かに審理を尽さない違法がある。原審に於ける昭和二十四年四月十五日の公判廷に於て弁護人今井源良氏より本件押収物につき再鑑定の申請をした其の趣旨とするところは鑑定人警察官江戸幸哲作成に係る鑑定書に依ると鑑定の結果として、一、第一号、第二号、第三号品は何れも塩酸モルヒネを含有す。二、第一号、第二号、第三号品は何れも同一の成分を含有する。三、第四号品中にはモルヒネを含有する。と記載せられあるも本件の物件中に幾何の如何なる麻薬が含有せられて居るかと言ふ事に就いての鑑定なき為、其の点についての鑑定を求めて「テイコイン」の臨床実験に依る効果、特にその副作用竝に習慣性の有無についての検討にあつたのである。然るに原審に於ては此の申請に対し採否を留保した侭昭和二十四年五月十一日証拠調を終了し同年六月三十日判決の宣告を為したのである。

抑々麻薬取締法の立法の主なる狙いは公衆衛生、社会福祉の観点から麻薬中毒者を撲滅するにあつて、阿片、モルヒネ、ヘロイン等の強力なる麻薬の不正取引の防遏である。其の定められた罰則規定の法定刑も右の様な強力な麻薬の不正取引を目途にしてその長期が定められておるのである。其故に本件の「テイコイン」中に幾何の如何なる麻薬が含有せられて居るがと言ふ事実と共にその臨床的効果特にその副作用及習慣性の有無をはつきり把握する事は犯罪の成否、情状、刑の量定に重大なる関係をもつものである。従つて此の点に関し原審に於ては弁護人の申請した鑑定の申立は之も許容すぺき筈に拘らず採否留保の侭結審したるは明かに審理を尽さない違法がある。

二、原判決の科刑はあまりにも過重であるから量刑不当の理由に依つても破棄されねばならない。麻薬を厳重に取締る理由は前項にて一言したが、更に之を詳述すれば、或る国家、団体、又は個人が計画的に之を使用し、他民族其の他人類の一部を肉体的、精神的に破壊せしめ、徳性的に堕落せしめるならば其れは人類に対する極悪罪悪であり神に対する冒涜であつて断じて許すことが出来ないという考へ方が第一、使用者が反衛生的に使用して甚だしきは廃人となり少く共不幸に陥るのみならず其の結果として犯罪其の他の社会悪の源泉となる虞のある事が第二、直接犯罪に使用せられ社会治安を紊す虞のある事が第三ではなかろうか。被告人の本件所為は右の理由の何れにも触れるものではない。「テイコイン」の麻薬性(麻薬含有量は壱万分の十八)及被告人の取扱つた量から見ても右の理由に触れる結果を生ずる虞すらない程である。斯の如き行為をも尚処罰の対象とするは寧ろ前記主目的を達する必要上止むを得ない為であるから被告人に対する処罰は当に極めて軽かるべきである。

「テイコイン」の麻薬性は右の如く稀薄である、その為当局による麻薬としての指定通知も愛媛県庁すら受けておらない程である。

被告人の「テイコイン」に対する麻薬性認識も亦極めて薄かつた。この「テイコイン」の麻薬性と被告人の認識の点からも被告人の処罰は軽かるべきである。尚ほ被告人は本件物件を全部共同被告人高畠長四郎に喝取せられたのであつて壱銭の利益をも得て居らない。弁護人は被告人に対する科刑は軽き罰金刑のみを妥当と信ずるが仮に原審の科刑標準を前提としても本件事件に一連の関係を持つ被告人赤沢恒三郎・灘部義男(帝国製薬株式会社外四名に対する麻薬取締法違反被告事件として同庁第一刑事部に継続中)に対する刑(同人等に対する原審判決謄本を添付したから御参照願ひ度し)と比較して被告人に対する科刑は不当に重きに失して居ると思ふ。従つて懲役刑を以て処罰せられるにしても諸般情状御参酌の上執行猶予の御恩典に浴せしめられ度い。

被告人上田恵の弁護人岡井藤志郎の控訴趣意

第一点判決に影響を及ぼすこと明白なる事実の誤認がある。被告人は原判決第二の(三)に在る笘井繁一から胃痙攣の注射にモルヒネかパピナールを別けてくれと言はれていた。其時モルヒネやパピナールは麻薬にはいつて居るからいかぬ。何か麻薬になつていないものを世話してやると答へていた。其後一週間許りして第二の(一)の買受をしたのである。県の薬務課が業者へテイコインの中に麻薬(モルヒネ)がはいつて居ることを通知するのを忘れていた。麻薬係黒田氏も明言する所で薬剤師なら通知を受けなくとも知つていたかも知れぬが薬剤師ならぬ被告人は知らなかつたのである。知らなかつたからこそ買受けた。そして麻薬頒布を断つた笘井に分けてやり又実兄上田繁樹にも実父胃痙攣たんせきの注射用に進呈した。若し麻薬と知つていたら親しき此等の人々に秘密厳守を懇談する筈であるが然様なことは一つもして居らぬ。残品は尽く隠さず警察に出し又外の人々は否認しても被告人だけは否認しなかつたのは外の人々の様に麻薬たるを知らなかつたからである。調書には僅に其片鱗しか表れて居らぬ。事実のお取調が願ひたい。

第二点刑の量定が不当である。戦友笘井繁一は胃痙攣患者である。実父の胃痙攣とたんせきを看護る実兄上田繁樹方は長浜町から一里もある無医村で医者は仲々来てくれない。又医者を迎へて注射などして貰つていたら一家干乾しになつて仕舞ふ。此等の切実なる要求に答えたのである。上田繁樹の方は固より無料である笘井からも碌々代金を貰ふていない。人類愛たり親孝行たる行為である。而して右両家に頒けた数量と店に残つた数量を合すれば正に買受数量に当るのである。一家一族親友注射用に買求めたものであることが記録に溢れて居り其れ以上に逸脱して居らぬ。テイコイン中にモルヒネが千分の一あることは県鑑識課で試験の結果分つたのであるが通知を業者に怠つていたため被告人は固より之を知らなかつたこと上述した所であるが仮に知つて居たとしても分量から言つても情状から言つても正に微罪不起訴事件である。悪性は何処にもない。外の人々と比べて見たら分る。第一悪どさがない。麻薬に依て害毒を流す積極性がない。病者憐愍親孝行の観念あるのみである。昭和二十三年七月十日施行の麻薬取締法は今日の状勢に即応したる新立法である。社会状勢が変つたから昔の刑期が今の実状に合はぬと言ふ問題を生じない。されば其第五十七条定むる懲役五年以下罰金五万円以下は正に其の通り厳格に解すべきである。刑法は固より諸々の刑罰法令に対比しても決して重い法律ではない。軽い部類に属する。之を実際に徴するも人の健康を害し悪徳の源泉たるもの決して麻薬だけではない。麻薬には医者に掛る資力なき一般国民の病を救済する功徳もある。飲酒喫煙の害は一般に言ふ所であるが大食暴食甘い物好きが如何に人間の健康を害し短命ならしめ不活溌怠情不純正の人間たらしむる事乎。而も是等は法律で毫末も禁ぜぬ。人生に害あること此等に優るとも見へぬ麻薬に就てのみ取締法があるのであるから無暗に肩肱張つて論議するのは間違つて居る。兎に角理論上実際上の見地から麻薬法は刑罰法令中余程末席を汚して居る。是に対し懲役八月罰金三万円とは何処から出て来るのであろう乎。麻薬犯罪を三犯五犯と重ねたり大量に大舞台に営む者には然らば如何なる刑を盛られるのであらうか。刑の量定は自由裁量の天地である。刑期範囲内なら自由であると言ふのは牽強附会の議論である。古来悪徳官吏の行ふ手法である。自由裁量を間違へたら裁判の生命はない。然り而して初犯で三年の懲役に処する場合は余程の重罪であるがそれすら執行猶予に為し得るのであるから本件の如きは正に刑期金額共に右軽き法律にふさはしき様に大削減を施した上両者共執行猶予に処すべく又罰金だけの刑にして執行猶予にしてよいのである。大体初犯である。不起訴でよい。取締法違反は初犯でも必ず必ず起訴すると言ふ考方は大いに大いに間違つて居る。何の根拠もなくして我司法部内に古くから行はるる謬説である。本件に懲役刑を盛つた如きは何事ぞや。而も併科とは何事ぞや。法律には態々「又は」の文字が使つてある。凡そ法律を虚心担懐に読みて之を適用すれば初犯にして罪質罪量共に微なる本件には罰金刑のみを選択し而も之を執行猶予にすべきではないか。法律の続み方は正に然あるべき筈である。裁判は法を忠実に適用しなければならぬ。自己の胸中に勝手に法律以上の重き刑罰を想像しこの想像されたる重き刑罰法令の下に処断し而も「是れ法律刑期金額の範囲内也。何の不可か之あらん」と為すが如きは法適用の邪道である。基本的人権を最大限に尊重すべき憲法の規定にも反し無効の裁判とも謂うべきである。何故罰金だけで慊らないで懲役にしなければならないのか。其理由を解するに苦しむ。冀くば日本法律を守つて頂きたい。伏して御明鑑を仰ぐ。

最後に取締法規違反行政犯特別扱の理由なきことは前述したがそれのみか元来行政犯に対し懲役刑を定むること立法論として大に議論の余地がある。行政犯必罰を唱ふる前に行政犯らしき制裁を考ふるを要する。それでも十分取締の目的は達せられる。立法の不都合を修正するためから言つても無暗に懲役など科すべきではない。

被告人上田恵の弁護人今井源良の控訴趣意

右被告人が右原判決に不服である点は其の量刑の過当なるの点であります。抑々被告人の取扱ひましたる麻薬の数量は計千六百五十CCでありまして之は起訴状所載の如くに或は譲受け或は所持し又譲渡したのであります、其点何共陳弁の余地はありませぬが元来麻薬取締法の制定施行せられたる理由を忖度致しまするに麻薬が多数者に頒布せられて多数者に麻薬の害毒の及ぶに至るの点を憂ひてのことに他ならぬと思ふのであります。即ち麻薬の害毒の波及拡大せんことを慮つて其譲受け、所持、譲渡を罰するのであります。而して之等譲受け、所持、譲渡の三態様の中譲渡は他の二者に比して他人を害する可能性は大なるものがありますから麻薬の譲渡は他の二者に比し其非社会性は大なりと言はざるを得ませぬ。而して上田恵は其の譲受又は所持せることの外、如何なる範囲の人に之を譲渡したるかの点を観察するに僅かに笘井繁一と其実兄上田繁樹の二人に之を譲渡し、他は自身若しくは其の妻に之を施用し尽して居ります。而して笘井繁一と上田繁樹の両譲受人は之を孰れも自分の身体療用若くは其の実父乃至其の妻に施用致して居ります。此のことは一件記録上誠に明白なことであります。必ずしも多数人に麻薬の害毒を及ぼすが如き措置は致して居りませぬ。之を相被告人たる高畠長四郎、辻田一郎、坂本隆之等の場合に比すれば其間に麻薬害毒波及の危険性に付ては逕庭極めて大なるものがあります、更に之を本件と関連の有る麻薬被告人灘部義雄の譲渡、所持、譲受等其の関係せる四万CCテイコインに付て考へまするに灘部は之を真田茂、横田正芳、坂本隆之等に譲り渡して居りますが之等譲受人の職業の点より見て必ずや社会的に広範囲に散布せらるるものと断定し得ることでありまして此事実に対比しまするときは被告人上田恵の犯行は極めて軽度のものなりと申して差支ないと考へます。然るに原判決は此上田恵に対して八月の懲役三万円の罰金を科したるに反し灘部義雄被告人に対しては僅に懲役一年罰金五万円を言渡したるに過ぎませぬ。即ち刑の均衡を失しているものと言はざるを得ませぬ。元来麻薬に対する取締に対しては強力なる制約のある由は仄に承つて居りますが被告人と致しましては国法の公正明朗なる方途を辿り彼是偏頗なき裁判を受け度く念願致しますので茲に控訴趣意書を提出致します。願くは御手許に在りと拝察せられます別件灘部義雄等に対する麻薬被告事件の記録を御高覧賜りまして然る後御裁断あらんことを切に祈念致します。尚上田恵被告人は家に恒財なく妻子共五人の生計は今日の実情上到底安易なる条件下に生計を資し得ませぬ、斯る者に対する実刑は其の刑の価値に於て好条件下に生活し得る者に比し其差極めて大なる者があります。又援いて妻子も父の罪夫の罪に連坐すると同一の結果と相成りますかとも考へられます。之等の点に対しても深甚なる御同情を賜りまして御量刑上御斟酌あらんことを祈ります。

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